ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅳ
新生代とか、更新世とか、完新世とか書くと誰も読まなくなるのだよなあ、虚しい・・・(・o・)
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅰ、
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅱ、
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅲの続編
地球を地質年代で見ると、冥王代、始生代、原生代とほとんど生き物などがいない頃から、古生代、中生代、新生代と巡り巡る。
そして、人類の黎明期、それも文明とか有史とかいうと、この最後の新生代の中のさらに第四紀という地質年代のさらにさらに完新世と言われる時代(今から1万年ほど前から始まる)でしかありません。そして、この完新世という地質年代の中ですら、人類が文明とやら歴史とやらを作り始めたのは、完新世中期以降からということ。
完新世の前の更新世は、約258万年前から約1万年前までの間でした。そして、寒かったんだヨォ~。更新世のほぼ全般が氷河期。ほら、あのマンモスなんざが闊歩して、ネアンデルタール人でもクロマニヨン人でもいいが、マンモス狩りをしていた時代です。その期間約257万年というもの、地球は氷河で覆われていて、ユーラシア大陸から日本人の親類が凍りついたベーリング海峡をアメリカ大陸に渡ったのもこの頃なら、大陸から歩いて渡れる日本列島に縄文人の祖先がたどり着いたのもこの頃でした。やれやれ。
そして、更新世の最後の氷期、ヴュルム氷期が終わって、やっと地球が暖かくなってきた、それで完新世が始まり始まりというわけです。
この更新世から完新世までの間、人類は特に日本人は何をしていたかというと、
- 紀元前48,000年頃、現生人類の祖先の一部、分派がアフリカ大陸をおさらば、中東当たりに渡った、
- 紀元前43,000年頃、この頃の遺跡がロシアのドン川畔で見つかってます、
- 紀元前40,000年頃、アボリジニーの祖先がオーストラリアに渡りました、この頃からの枝分かれなんですね?
- 紀元前30,000年頃、後期旧石器時代始まる。立川ローム基底部(X層)で日本の旧石器文化発見、群馬県新田郡笠懸村岩宿の局部磨製石斧発見、縄文人の祖先、もう日本に着いたんですね?
- 紀元前28,000年前、縄文人、寒いから、ヘラジカ、ナウマンゾウ、オオツノシカなんてのも石器で狩りしてました、
- 紀元前25,000年頃、鹿児島県にある姶良火山が大爆発、これ世界の大噴火のトップ15!この頃を境にナウマンゾウが日本列島から姿を消します、寒いからねえ・・・
- 紀元前18,000年頃、ユーラシア大陸からの人類の移動、メキシコに到達、早いっす、
- 紀元前18,000~16,000年、最終氷期の最も寒い時期、海水面の高さが現在よりも約150メートル低かった、ということはですな、もう、高緯度から中緯度地域にかけて、そこいらじゅう地続き、離れ小島でも渡れた、ってこと、
- 紀元前16,000~14,000年頃、沖縄県島尻郡具志頭村港川で人骨発見、沖縄も地続き!
- 紀元前15,000年頃、北スペイン・カンタブリア地方のアルタミラ洞窟の壁画!有名ですね?
- 紀元前14,000年頃、縄文時代の始まり、始まり!縄文土器がつくられはじめる、
- 紀元前12,000年頃、中国長江流域で陸稲稲作の開始、この寒い時期に?!陸稲なら可能か?!
- 紀元前12,000年頃、アメリカ合衆国オレゴン州の洞窟で人間の糞の化石が見つかった!ミトコンドリアDNAから東アジアやシベリアの人と共通する特徴をもっているという、って、アイヌとかエスキモーの親戚、現代のインディアンの祖先ということですな、
- 紀元前12,000年頃、イヌの家畜化、狼からやっと犬になったわけですわ、
- 紀元前11,000年頃、日本、縄文時代草創期、日本列島でオオツノシカが絶滅って、暖かくなってきた?
- 紀元前10,000年頃、縄文時代早期、日本列島の温暖化・温潤化が進む、さてそろそろ完新世、
- 紀元前9,050年頃、シリアのテル・アブ・フレイラ遺跡で最古級の農耕の跡、
ということです。やっと、1万年前にたどりついた!まだ、アーリア人のインド侵入の4千年~3千5百年前までまだまだです。ああ~・・・(・o・)
この完新世もまた地質年代的にはゴチャゴチャわかれます。
更新世の最後期から完新世の初期中期、ヤンガードゥリアス期と言いますが、11,000年前以降、100年の間に、地球平均気温が6℃下がりました。これは凄まじい!ヤンガードゥリアス期中期の10,720年前には,50年間で気温が7℃上昇。これまた急激な温暖化。
ただし、こうも急激だと、例えば、アメリカの五大湖付近、氷河が溶けた大量の水がたまった巨大湖がありました。それが、13,000年前、まだ更新世の頃、巨大湖が決潰、大量の淡水が北大西洋・グリーンランド近海に流れ込んだ。大量たって、半端ではない数兆tonとかです。恐ろしい!
これで、エジプトも大洪水、地中海にも淡水混じりの海水(塩分濃度が低い)がドット流れ込み、塩分濃度が低くなって、地球全体の海流のシステムが2,000年後に完全に停止、それで氷河期が終わった、なんて仮説もあります。まあ、いいや。
というので、完新世たって、はじめは、まだ、過渡期のヤンガードゥリアス期ですので、本格的に暖かくなってくるのが、8千年前頃から始まるヒプシサーマル期となります。ややこしいね?その中で特に暖かかったのが、6,500年前頃のこと。
このもっとも温かい、温暖化が今よりも進んでいた時代が縄文海進という時代。日本の国土の3割は海面下という時代。鎌倉の八幡宮の境内の大階段下まで海、大森駅近くの貝塚まで海、氷川神社当たりまで海という時代。
さて、この暖かいヒプシサーマル期の後期が寒の戻りで、寒くなります。それが、紀元前20世紀頃から始まった。氷河期というのじゃありません、小氷期程度なんですが、それでも、千数百年、暖かかったのが、また寒くなってきたということ。
そう、この時代が、アーリア人のインド侵入の初期ということです。紀元前20~15世紀というのは、ヒプシサーマル期の後期・晩期に当たるということですね。
ですから、アーリア人のインド侵入は、気候変動に関わっていたんじゃないか?と推測できることも可能ではないかと?
ちなみに、ヒプシサーマル期の中期まで、温暖ですから、サハラ砂漠は緑の大地!サウジアラビアも緑でいっぱい!という幸福な時代だったのです。今より暖かいのだから仕方ない。
・・・まったく、ヒンズー教と仏教に進みませんが、抜かすわけにもいかないので・・・(・o・)
それに、ヒンズーと仏教以外の古代文明でこの氷期と温暖期による興亡を書くのであえて長々と・・・(・o・)
※おまけ:エジプト古王国の頃は、縄文海進の頃と似たような気候であったと推測出来ます。となると、日本でもこのような
海岸線の後退(海退)があったわけですから、現代のアレキサンドリア当たりは海の底で、クフ王の大ピラミッドのあるギザ当たりに海岸線があったとしてもおかしくない。
現在のナイル川の大三角州はすべて海底であって、紀元前2,500年くらいの古王国成立当時のエジプトは、アレキサンドリアからギザまでの約160kmほど海岸線が現代よりも後退していたとも言えるかもしれませんね?スフィンクスの足元を海水が洗っていたとしても不思議ではないのでは?
ナイル川の大三角州というのは、完新世の沖積平野であって、これは関東平野の海岸部や大阪で言うと上町台地よりも西北の平野が沖積平野ということです。
縄文海進の頃は海面下だったというのは、ナイル川大三角州も日本の沖積平野も変わりない、ということ。初期王朝から新王朝まで一貫して海岸線が同じ、現代と同じなどありえないでしょう?
古王朝の頃は、今のアレキサンドリアと同様、GIZAが海岸に位置していた、GIZAの背後にはその当時の、現代とは別の内陸に引っ込んだ大三角州が広がっていたということでしょう。
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