3/02/2013

ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅰ

 ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅱ
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅲ続く
超古代サラスヴァティー文明、デーヴィッド・フローリー著
”The Myth of the Aryan Invasion of India", David Frawley
世界の様々な歴史書を読む、司馬遼太郎まで書いているのだが、古代に栄えた原インド人のドラヴィダ人の文明が、印欧語族であるアーリア人がインダス川流域からインド亜大陸に侵入・侵略して、インドでの支配的な種族となった、とある。
本当かな?と思うものである。
インド・アーリヤ人の場合は、『インドへのアーリア人の侵略』と表記しておいて、ゲルマン民族の場合は『ヨーロッパへのゲルマン民族の大移動』と表記する。
『侵略』と『民族移動』では意味がおおきに違うのだが、それを誰も言わないのだ。
英語では、『インドへのアーリア人の侵略』とはあまり書かない。『インド・アーリア民族移動』 = 『Indo-Aryan migration』です。『ゲルマン民族移動』 = 『Germanic migration』と同じなのだ。
ゲルマン民族移動の場合は、『蛮族』 = 『Barbarian』であって、先進的地域であるローマ・ギリシャのヨーロッパに民族ごと動いたから、 『Germanic Migration』なのである。アーリア人の場合は、鉄器や馬などをもたらしたが、原インド人(ドラヴィダ人)も高度の文明を持っていて、文明の衝突という印象を受けるから、日本語では、『インドへのアーリア人の侵略』などとあえて書くのだろうか?それとも、印欧語族で白色系人種のアーリア人が有色人種のドラヴィダ人文明を犯したからそう書くのだろうか?
しかし、ちょっと変なこともある。
『インドへのアーリア人の侵略』とは紀元前20C~15Cくらいの出来事であり、『ヨーロッパへのゲルマン民族の大移動』は紀元後4C~5Cくらいの出来事である。
そして、ゲルマン民族とは、ヒットラーの言うアーリア人ですね?インド・アーリア人は、イラン・アーリア人と同じく、アーリア人ですね?中央アジアに蟠踞したアーリア人に変わりない。
それが、紀元前20C~15Cは、高度の文明を持ってインドに侵略した、それが、ゲルマン民族は紀元後4C~5Cに蛮族としてヨーロッパに大移動した。
文明的に、ゲルマン民族は退化したアーリア人なのか?
上のマップ、色付けされたカスピ海・アラル海沿岸、アフガニスタン・イラン高原、これがインド・イランアーリア人の故郷、故郷なんだそうです。コーカソイドというわけのわからない人種・地域名称で呼ばれていて、ここいらが彼らの現住地であった。
それが、上のマップのように、北はバルチック海・北東からブリテン島・アイルランド、中欧、南欧、イラン・イラクそして、インド・中央アジアまで移動して、印欧語族の祖先となったという説明なのだ。
高校の頃、世界史でそう習った。(私は理系だが、私の頃は理系でも世界史・日本史は必須だったのだ)じゃあ、この印欧語族の先祖、白人種の先祖、インド・イランアーリア人って何もで、具体的のゴート族とかアングロ族とかサクソン族とか、部族名でもあるのか?まさか、インド・イランアーリア帝国が一体となって、欧州・中東・中央アジア・インドを荒らし回ったわけではあるまい?と思っていた。だが、教師にしろ誰にしろ、筋の通った説明をしてくれた大人はおらなかった。
・・・と、『ヒンズー教と仏教の原風景・現風景』を書こうと思ったのだが、それには、まず、バラモンに関して書かなくてはならず、そうなると、どうしてもここまで遡らないといけなかった。
気が向けば続けます。

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