小乗、大乗、顕教、密教、グチャグチャで虚しい・・・(・o・)
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅰ
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅱ、の続編
そろそろ、ヒンズー教と仏教の話にしないといけません。
まず、ヒンズー教よりも古い仏教から書きましょう。
え?ヒンズー教は仏教よりも古いのではないかって?ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅰ、Ⅱで書いた内容を思い出しててください。
こんなにざっくりとしてはいけないのですが、古い順に、
>原始アーリア人の宗教、原始ドラヴィダ人の宗教
>原始バラモン教(顕教的、小乗的)
>原始仏教(顕教、小乗)
> 原始ヒンズー教(密教的、大乗的)
>インド南部仏教・ラマ教-チベット/ネパール-(密教、大乗)
こうも言えると考えます。そして、何が小乗(的)で何が大乗(的)か、何が顕教(的)で何が密教(的)かとこれまた、怒られるでしょうが、ザックリと言うと、
小乗(的)= 特定の階層(要するに修行する僧侶)のみ得度、救済、解脱可能
大乗(的)= 庶民まで含めて得度、救済、解脱可能で、修行も緩やか、在家出家なんて釈迦が聞いたら卒倒しそうな制度まで包含する
顕教(的)= 人の解脱が主題、死してどうなるか?解脱か輪廻転生か?ということ、生きている間は死んだ後の結果を出す過渡期にしか過ぎない
密教(的)= 生まれてから死ぬまでも主題、空海のように生きていて仏も可!という釈迦が聞いたら卒倒しそうな制度まで包含する、もちろん、生まれてから死ぬまでも主題だから、現世利益追求も可
とこう分けてもいいでしょう。識者が聞くと怒られるだろうが、私の端的理解はこうです。