12/29/2012

私が物語になる時

昔、谷川俊太郎の詩、

 いくらか誇張されいくらか
 縁飾りをつけられていたけれど
 その物語はとても本当の人生に似ていて
 だがそれを読み終えたあとも
 自分の暮らしは続いていることに
 気づかないわけにはいかない
 電車の窓外では街並が切れ一面の菜の花


 たとえば<たとえば>と言ってみて
 ふと<ふと>と言ってみてそのあとに
 生きることのこまやかな味わいのあれこれを
 目録のように並べたてても矛盾は解けない
 束の間の慰めなら一杯の紅茶でも事足りる
 それからいったいどうするのか
 電車の窓外では街並が切れ一面の菜の花

『ルフラン』 by 谷川俊太郎

via: 3912657840
K-SHOYA、『電車の窓外では街並が切れ一面の菜の花・・・・谷川俊太郎』、http://poetsohya.blog81.fc2.com/blog-entry-1203.html


これを模倣して作った詩がある。

 私が物語になる時、
 素のままの自分はあじけない、
 白い単衣(ひとえ)のケーキにイチゴ一粒のせたように、
 色合いが必要だ

 2万フィートの高みから、雲の切れ間に椰子が見える
 熱帯のあの島には、百を余る子供が駆け回っている
 自分の周りに百を余る乗客がいるが、
 誰も駆け回りはしない

 たとえば<たとえば>と言ってみて、
 ふと<ふと>と言ってみてそのあとに、
 進むことのむずかしさのあれこれを、
 目録のように並べたてても矛盾は解けない、

 私が物語になる時、
 素のままの自分はあじけない、
 いっそ物語そのものになってしまえば、
 色合いも要らなくなるだろうか、

『私が物語になる時』 by 3912657840

私が物語になる時、/素のままの自分はあじけない、/いっそ物語そのものになってしまえば、/色合いも要らなくなるだろうか、・・・・・・・・Alfred 

2 comments:

  1. ■フランクさま。
    と呼びかけてもいいのでしょうか。
    お久しぶりです。
    どうなさっておられますか。
    このBloggerは私が2003年春に、はじめて私のサイトを
    作ったところです。
    ようやくブログなるものが始まった頃で、日本でもniftyが
    ココログを有料ではじめた頃です。
    ところが、まだ日本語のワードプロセッサーがきちんと出来ておらず、私の記事が日時が経つと「文字化け」してしまうので、放置して断念し、2004年二月になって日本のDoblogで
    本格的にブログを始めたものです。
    私の友人も何人か、ここに居ます。今はGoogle傘下らしいですね。
    またコメントなど消息をお知らせください。
    では、また。

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    1. SOHYAさま、お久しぶりです。

      Doblog休止以来、SNSとFC2でブログをしてまいりました。しかし、あまりに書き散らかしで、少々整理しようと思った次第です。FC2、Wordpressは重くて、編集するに際し、読み込みでもアップロードでも時間がかかります。それほどレイアウトにもこだわりませんので、シンプルなシステムということで、Blogspotでしばらく過去コンテンツの移転、新規コンテンツを書いてみようと思い、谷川俊太郎の詩の検索をしていたところ、SOHYAさまのブログに偶然行き当たりました。お懐かしい。

      いつもながら、コンセプトを変えないブログで、一貫した信念で書かれておられます。

      このブログでは時事評論は止めようと思ってます。文芸方面と文化論などで書いてみようと思います。時事評論では友人をなくす場合もしばしば。共和党、民主党支持問題で離婚する米国人夫婦みたいな友人とのイデオロギーの論争は止めようと。

      メール送っておきます。

      良いお年を。来年も宜しくお願いいたします。



      3912657840



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