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3/03/2013

ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅳ

新生代とか、更新世とか完新世とか書くと誰も読まなくなるのだよなあ虚しい・・・(・o・)
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅰ
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅱ
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅲの続編
地球を地質年代で見ると、冥王代、始生代、原生代とほとんど生き物などがいない頃から、古生代、中生代、新生代と巡り巡る。
そして、人類の黎明期、それも文明とか有史とかいうと、この最後の新生代の中のさらに第四紀という地質年代のさらにさらに完新世と言われる時代(今から1万年ほど前から始まる)でしかありません。そして、この完新世という地質年代の中ですら、人類が文明とやら歴史とやらを作り始めたのは、完新世中期以降からということ。
完新世の前の更新世は、約258万年前から約1万年前までの間でした。そして、寒かったんだヨォ~。更新世のほぼ全般が氷河期。ほら、あのマンモスなんざが闊歩して、ネアンデルタール人でもクロマニヨン人でもいいが、マンモス狩りをしていた時代です。その期間約257万年というもの、地球は氷河で覆われていて、ユーラシア大陸から日本人の親類が凍りついたベーリング海峡をアメリカ大陸に渡ったのもこの頃なら、大陸から歩いて渡れる日本列島に縄文人の祖先がたどり着いたのもこの頃でした。やれやれ。

New Law in China : Abandon Your Parents and Get Sued

In an unprecedented move, the Chinese legislative arm has empowered elderly parents who feel frustrated and weakened by their adult children’s gross neglect by passing into law a “Parent Abandonment Bill.” Adult children are now legally required to visit their old parents and show some love, or have charges pressed against them by said parents.

3/02/2013

ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅲ

小乗、大乗、顕教、密教、グチャグチャで虚しい・・・(・o・)
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅰ
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅱ、の続編
そろそろ、ヒンズー教と仏教の話にしないといけません。
まず、ヒンズー教よりも古い仏教から書きましょう。
え?ヒンズー教は仏教よりも古いのではないかって?ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅰ、Ⅱで書いた内容を思い出しててください。
こんなにざっくりとしてはいけないのですが、古い順に、
原始アーリア人の宗教、原始ドラヴィダ人の宗教
>原始バラモン教(顕教的、小乗的)
>原始仏教(顕教、小乗)
> 原始ヒンズー教(密教的、大乗的)
>インド南部仏教・ラマ教-チベット/ネパール-(密教、大乗)
こうも言えると考えます。そして、何が小乗(的)で何が大乗(的)か、何が顕教(的)で何が密教(的)かとこれまた、怒られるでしょうが、ザックリと言うと、
小乗(的)= 特定の階層(要するに修行する僧侶)のみ得度、救済、解脱可能
大乗(的)= 庶民まで含めて得度、救済、解脱可能で、修行も緩やか、在家出家なんて釈迦が聞いたら卒倒しそうな制度まで包含する
顕教(的)= 人の解脱が主題、死してどうなるか?解脱か輪廻転生か?ということ、生きている間は死んだ後の結果を出す過渡期にしか過ぎない
密教(的)= 生まれてから死ぬまでも主題、空海のように生きていて仏も可!という釈迦が聞いたら卒倒しそうな制度まで包含する、もちろん、生まれてから死ぬまでも主題だから、現世利益追求も
とこう分けてもいいでしょう。識者が聞くと怒られるだろうが、私の端的理解はこうです。

ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅱ

カイバル峠、インド・アーリア民族のパンジャブへの進攻
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅰの続編
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅲ続く
1996年11月、1997年2月、この2回にわたって、私はパキスタンの北西部、アフガニスタン国境から程近い地図にも載っていないチャシュマという村に出張した。
そこはインダス河河岸の村で、そこから流れ出るインダス河の支流に水力発電所を設置するプロジェクトであった。
最初の出張は、シンガポールからバンコック経由でパキスタン中部パンジャブ州のラホールに降り立ち、ラホールから車でチャシュマに旅するものだった。直線距離としてはたいしてない。しかし、尾根越えで道がうねっている場所が多々ある。そして、アウトバーンやハイウェイが走っているわけではなかった。都合10時間かかってしまった。

ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅰ

 ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅱ
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅲ続く
超古代サラスヴァティー文明、デーヴィッド・フローリー著
”The Myth of the Aryan Invasion of India", David Frawley
世界の様々な歴史書を読む、司馬遼太郎まで書いているのだが、古代に栄えた原インド人のドラヴィダ人の文明が、印欧語族であるアーリア人がインダス川流域からインド亜大陸に侵入・侵略して、インドでの支配的な種族となった、とある。
本当かな?と思うものである。
インド・アーリヤ人の場合は、『インドへのアーリア人の侵略』と表記しておいて、ゲルマン民族の場合は『ヨーロッパへのゲルマン民族の大移動』と表記する。
『侵略』と『民族移動』では意味がおおきに違うのだが、それを誰も言わないのだ。
英語では、『インドへのアーリア人の侵略』とはあまり書かない。『インド・アーリア民族移動』 = 『Indo-Aryan migration』です。『ゲルマン民族移動』 = 『Germanic migration』と同じなのだ。
ゲルマン民族移動の場合は、『蛮族』 = 『Barbarian』であって、先進的地域であるローマ・ギリシャのヨーロッパに民族ごと動いたから、 『Germanic Migration』なのである。アーリア人の場合は、鉄器や馬などをもたらしたが、原インド人(ドラヴィダ人)も高度の文明を持っていて、文明の衝突という印象を受けるから、日本語では、『インドへのアーリア人の侵略』などとあえて書くのだろうか?それとも、印欧語族で白色系人種のアーリア人が有色人種のドラヴィダ人文明を犯したからそう書くのだろうか?
しかし、ちょっと変なこともある。
『インドへのアーリア人の侵略』とは紀元前20C~15Cくらいの出来事であり、『ヨーロッパへのゲルマン民族の大移動』は紀元後4C~5Cくらいの出来事である。
そして、ゲルマン民族とは、ヒットラーの言うアーリア人ですね?インド・アーリア人は、イラン・アーリア人と同じく、アーリア人ですね?中央アジアに蟠踞したアーリア人に変わりない。
それが、紀元前20C~15Cは、高度の文明を持ってインドに侵略した、それが、ゲルマン民族は紀元後4C~5Cに蛮族としてヨーロッパに大移動した。
文明的に、ゲルマン民族は退化したアーリア人なのか?
上のマップ、色付けされたカスピ海・アラル海沿岸、アフガニスタン・イラン高原、これがインド・イランアーリア人の故郷、故郷なんだそうです。コーカソイドというわけのわからない人種・地域名称で呼ばれていて、ここいらが彼らの現住地であった。
それが、上のマップのように、北はバルチック海・北東からブリテン島・アイルランド、中欧、南欧、イラン・イラクそして、インド・中央アジアまで移動して、印欧語族の祖先となったという説明なのだ。
高校の頃、世界史でそう習った。(私は理系だが、私の頃は理系でも世界史・日本史は必須だったのだ)じゃあ、この印欧語族の先祖、白人種の先祖、インド・イランアーリア人って何もで、具体的のゴート族とかアングロ族とかサクソン族とか、部族名でもあるのか?まさか、インド・イランアーリア帝国が一体となって、欧州・中東・中央アジア・インドを荒らし回ったわけではあるまい?と思っていた。だが、教師にしろ誰にしろ、筋の通った説明をしてくれた大人はおらなかった。
・・・と、『ヒンズー教と仏教の原風景・現風景』を書こうと思ったのだが、それには、まず、バラモンに関して書かなくてはならず、そうなると、どうしてもここまで遡らないといけなかった。
気が向けば続けます。

Why I left Japan

Why I left Japan
She is talking about quite personal her story. She and her Japanese boyfriend, Masaki's story. Some comment says "Boring story!", but I am interested in this story. Anyway, I don't prefer foreign ladies to have such Japanese boyfirend. Forget about him.
And also I don't recommend such a girl for Japanese guys....(・o・), both similar human type....(・o・), sticky character....good grief....(・o・)
Just a long PERSONAL story why I left Japan. No, I don't hate Japan. Yes, it's a true story. And no, I am not reading every comment left on this video. Actually, I am not reading any of them. Too much dumb for me. If it's that important PM me.
And Another one...., all comments,....


3/01/2013

Snow (雪), Ski and Onsen (温泉)

Snow (雪) and Onsen (温泉)
 

Smog returns to Beijing with Yellow Sand storm

Smog returns to Beijing
with Yellow Sand Storm

And spring has come to Japan,
"Yamayaki" preparing spring....
Not smog, fog, etc.....(・o・)
Himeji Castle in cherry blossoms,

A Normal Life : Chronicle Of A Sumo Wrestler

 Sumo
Sumo (相撲 sumō?) is a competitive full-contact wrestling sport where a wrestler (rikishi) attempts to force another wrestler out of a circular ring (dohyō) or to touch the ground with anything other than the soles of the feet. The sport originated in Japan, the only country where it is practiced professionally. It is generally considered to be a gendai budō (a modern Japanese martial art), though this definition is incorrect as the sport has a history spanning many centuries. Many ancient traditions have been preserved in sumo, and even today the sport includes many ritual elements, such as the use of salt purification, from the days when sumo was used in the Shinto religion. Life as a rikishi is highly regimented, with rules laid down by the Sumo Association. Most sumo wrestlers are required to live in communal "sumo training stables" known in Japanese as heya where all aspects of their daily lives—from meals to their manner of dress—are dictated by strict tradition.
A Normal Life: Chronicle Of A Sumo Wrestler

Takuya is 18, with tousled hair and an athletic look. Driven by his father and sponsors, he leaves his hometown in Hokkaido to go to Tokyo and joins a sumo stable. There, he will share everything with the 10 other wrestlers: day-to-day life, training, social life and tournaments. The first 9 months of Takuya's initiation, telling about the dreams and disenchantment of a teenager who is discovering the reality of the traditional world of sumo.

音楽, Music

音楽というものが、昔通りの単純なもので、バッハの『フーガの技法』であったり、キース・ジャレットの『ケルン・コンサート』というように、何もヴィジュアルを必要としないものなら結構であった。私の時代はそのようなものであったのだ。
それが、世は過ぎて、PCでなくともスマホでも映像がDLできるようになって、私のような54才には理解できない世界になったのである。和音とかリズムとか関係無い時代になってしまったんである。音が音として独立できず、ヴィジュアルとやらと融合して、ヴィジュアルとやらなくして音が意味をなさなくなってしまったようである。
ということで、では、バッハばっか?というわけにもいくまい。仕方ないので、訳の分からない音楽だって聴かないといけないわけである。
例えば、http://bit.ly/X40UeH、映像=ヴィジュアルなく、この音楽だけ聴いて、どうなの?どうなのかね?ということである。胸の谷間、これをですな、強調すればいいわけです。理解し難い。パーティー、毎日そうなんですが、私の時代のパーティーってこうじゃなかったと思う。思うが仕方ないであろう?確かに、セクシーであるので、それはそれで結構何である。
Alizeeというフランス人、コルシカ出身の可愛い子ちゃん歌手を年代的に取り上げた。最初は、ミニスカ、ホットパンツ、パンティー見せである。売れ方がそうなんでしょう。http://bit.ly/XPjXI2、10年の月日が経ち、潰れなかった。
http://bit.ly/1366kJMhttp://bit.ly/1366mBhhttp://bit.ly/1366CAo、私は、Bruce Springsteenって、国際的な北島三郎ではないか?と思うが、まあ、音だけでもヴィジュアル込みでも楽しめるのである。
Katy Perry - Firework、これはヴィジュアル付きの方がいいであろうな?物語性のある音楽はヴィジュアル付きの方がよろしいのだ。(ドラゴンボールみたいになっているのは仕方ないな・・・(・o・))ヴィジュアルがないと感動が薄れる。デブちんの女の子が勇を越して水着になってプールに飛び込むなんざいいであろう?Chantal Kreviazukの一連の音楽も似た系列である。
『あの微笑みを忘れないで』の2バージョン、生きている坂井泉水(http://bit.ly/1368pp9)と死んじまった坂井泉水(http://bit.ly/1368Ake)は、音が同じだから、ヴィジュアル抜きにとはいくまいなあ。しかし、前者があって、後者を聴くと、この歌手の死というのが実感できて、なんつうことだ?!と思うのである。
藤圭子の娘の宇多田ヒカル、カノジョのヒット曲は知らず、聴いたことも聴きたくもないが、Goodbye Happinessはヴィジュアルが好きである。このひどいジーパン、止めて欲しいとは思うがね・・・I love you、こちらは映像がなくても聞けますな。
クラシックで言うと、フランスのコメディー映画、『Le concert』、これ好きです。実に好き。亡命して、楽器を数年いじっていない楽団員が、演奏中に即まともになる、という荒唐無稽な筋書きだって愛せるではないかね?
似たような流れで、『The Nodame Cantabile』(http://bit.ly/VUtznJhttp://bit.ly/YhV0nIhttp://bit.ly/136aPE1http://bit.ly/136aVvzhttp://bit.ly/136aXU3)好きですよ。
Music, My Favouritesは、一応、考えて選曲してあるのだが、どうなんだろうかね?

 

猫の言語と独身女

前回、「猫の言語と不確定性原理」というのを書きました。猫は、飼い主の様を見て、本来自分にはなかった声を出して相手に伝える会話能力を持つ、という話でした。猫の言語は、飼い主、人類がいてこそであって、極めて人為的なものである、という話です。
話は飛躍して、日本人の独身女性のお話。そういう女性がいます。一人暮らしです。一応、結婚したいと思っています。それで、その女性が犬猫などのペットを飼っているか、どうか、これが結婚への大きな岐路となる可能性があるという話をしましょう。
物理的に、一人暮らしの女性で、ペットが居ると居ないでは男性として大きな制約が生じます。
前回 猫の言語と不確定性原理

2/26/2013

中国が科学分野でノーベル賞を取れないワケ

中国が科学分野でノーベル賞を取れないワケ
「漢文の文章表記に苦労しているのです。たとえば、英国のサッカーチーム、チェルシーFCの中国語は『切爾西足球倶樂部』、薬品のペニシリンは『盤尼西林』といった具合だが、これが物理や化学では極めて煩わしい」
確かに、簡便に英語などの他国語が表記できるひらがな、カタカナをもたない中華系文化はそうであるかもしれない。しかし、では、ハングルという表音文字を持つ韓国はどうなのであろうか?なぜ、中国に限らず韓国もノーベル賞受賞者が輩出しないのか?
私は、科学技術を侮蔑する、科学技術を工人の技として下に見る儒教文化が影響しているのではないか?と思えるのだが?

2/25/2013

Amazing!

"Top 10 countries"....(・o・)
Where is Japan? Korea?
Why Hungary? Czech?
....Oh!
Japan, Japanese has still some morality?
Exactly, Japanese has some personal molarity,
I think....(・o・)
?
Oh! This is professional people!
Non-professionals....
Amateur....(・o・)
Japan as No.1!....(・o・)


2/23/2013

縄文海進と古神道、神社、天皇制

天皇制と書いているからといって、イデオロギーの話しじゃありません。宗教とか政体とか建築物の位置なるものは、地球の気候に左右されるというお話です。
要約すると、
  • 神道の起源は、天皇家が日本に来た弥生時代よりもずっと古い。
  • 天皇家が神道に結びつけられるのは、天皇家よりも古くからある神道(山岳信仰、怨霊信仰)を簒奪・憑依したものであり、天皇家が神道を創設したわけではない。
  • 現存する神社のほとんどは、天皇家とは縁もゆかりもないものである。
  • 古代において神社を総覧した天皇家は、中世・近世においてその力を失ったわけであるが、それが慶応4年から再度その力を盛り返したのであり、中世、近世も含めて天皇家が神社を総覧したわけではなく、断絶している。国家神道という概念も慶応4年からはじまった新しい概念である。
など、まだ整理していませんが、ここら当たりをつらつらと述べてみたい。しかし、もちろん、私はいち技術者で、日本史の専門家でも宗教の専門家でもありませんので、間違いがありましたらご指摘下さい。

2/21/2013

Bangladesh bans the telecast of Hindi-dubbed Doraemon

Bangladesh bans the telecast of Hindi-dubbed Doraemon, banglabox.com
This is quite complex matter. Above "banglabox.com", "Deccan Herald", other Indian news sources, Japanese news sources, etc., what India/Japan media mentioned this news has a slightly different shade of meaning from what Bangladesh media mentioned.The former media for emphasizing the Hindi invasion and the latter media for not only language matter also the contents of Doraemon, like telling lies and speaking Hindi.
Bangladesh bans Hindi-dubbed Japanese cartoon, Deccan Herald
Bangladesh has banned a popular Hindi-dubbed Japanese cartoon for its "negative impact" on children but denied the step was taken because the show was telecast in Hindi.
"A circular has been issued asking cable operators not to air Doraemon as it contains scenes where a character frequently lies or tries to escape school work," an information ministry spokesman told PTI.
Yesterday, Information Minister Hasanul Haque Inu had told the Parliament that "the government doesn't want children's educational atmosphere to be hampered by Doraemon."
The spokesman however denied reports that the ban on Japanese cartoon Doraemon was imposed because it was dubbed in Hindi.
India has 22 official languages. But, more than 98% of Bangladeshis speak Bengali as their mother tongue as it is the official language. Not like Indian language situation. Also, English is used as a second language among the middle and upper classes. English is also widely used in higher education and the legal system.
Doraemon is translated to Hindi in India and Bangladesh broadcast import this contents.
Hindi is the native language of people living in northern India and is major of the official languages of the Republic of India.
The Indian constitution declares Hindi shall be written in the Devanagari script and will be the official language of the Federal Government of India. The Constitution of India has stipulated the usage of Hindi and English to be the two languages of communication for the Central Government. Most government documentation is prepared in three languages, English, Hindi, and the official language of the local state.
I feel major reason of bans of this Japanese cartoon is language matter. Hindi language cartoon gives bad influence to children  for studying mother tongue.
If contents of Doraemon (speaking lies, etc.) is given negative affect to Bangladesh children, how about other cartoons?
Or some special reason of this Japanese cartoon? I want to ask Bangladesh people's opinion.

2/19/2013

Japanese festivals

Japanese festivals are traditional festive occasions. Some festivals have their roots in Chinese festivals but have undergone dramatic changes as they mixed with local customs.

2/16/2013

Michiko, The Empress of Japan

Michiko, The Empress of Japan
The 26th Congress of The International Board
on Books for Young People(IBBY),
New Delhi (1998)