音楽2
■フレディ・マーキュリーの墓石、西ロンドンの墓地で発見?
音楽の続き
WHEN HARRY MET SALLY、この映画の挿入歌の話をそのうち書いてみたいと思っている。例えば、サッチモの歌なんてのもね。
You like potato and I like potahto,
You like tomato and I like tomahto,
Potato, potahto, tomato, tomahto!
Let's call the whole thing off!
But oh! If we call the whole thing off,
Then we must part.
And oh! If we ever part,
Then that might break my heart!
So, if you like pajamas and I like pajahmas,
I'll wear pajamas and give up pajahmas.
For we know we need each other,
So we better call the calling off off.
Let's call the whole thing off!
“ポテト”が好きって君は言うけど、それって“ポタートゥ”のこと?
“トメィト”が好きって君は言うけど、僕が好きなのは“トマァトゥ”。
“ポテトよ!”“いーや、ポタートゥ!”“トメィトでしょ!”
“違う、トマァトゥ!”
あー、もうぜんぶやめにしよう!
あぁ、だけど、僕たちが「ぜんぶやめにしよう」ってわめいちゃったら
僕たちはお別れするのかな?
ずっと離れ離れ?
それは耐え切れないかも
君は“パジャマ”、僕は“パジャーマ”
だけど、もし君が“パジャマ”と言うなら、
僕は“パジャーマ”はあきらめて“パジャマ”にするよ
だって君も僕も、お互いが必要って思ってるから
だから、“あーもうぜんぶやめにしよう!”をやめにしよう(笑)
ああ、この頃のメグ・ライアンはキュートであった。我が敬愛するデニス・クエイドと離婚するまで、私はカノジョを愛した。そして、我が辟易するラッセル・クロウと不倫し、デニス・クエイドと離婚するまでその愛は続いた。
ビリー・クリスタル。彼の司会するアカデミー賞は秀逸であった。その会話の即妙性、ウィット。
ボブ・ディランのハリケーン、私がこのアルバムを買った時節、私の妹はカルメンマキなんざ聴いておった。『私は風』・・・おっと、中森明菜版であった。しかし、カルメンマキのカバーをできる歌手なんざ中森明菜くらいであろうな?松田聖子じゃ無理だ。こんなカリカリ激ヤセの体でよく声がでるものだ。もう、今は無理なんだろうか?
Brand New Me, Alicia Keys、バラード、モノローグだ。ピアノ、聴いてほしい。ゴスペル、絶叫調だけじゃない、しっとり聴かせる。ホイットニーから始まる系譜、歌唱力だけをひけらかし、歌詞の内容もない曲じゃないように思うがいかがか?音楽には物語性が必要だと思うんだが?それはメロディアスじゃないとイカンのであって、歴史性を見いだせず日本の私小説みたいな世界観の流行りのアフリカ系米国人の音楽ではイカンのだと思う。むろん、私の好み・趣味の話である。
Skyscraper, Demi Lovato、学園モノ映画の可愛い子ちゃん歌手がこういう歌を歌う、歌えるというのは、想像外であった。
私が紹介する曲、これは女性シンガーが主である。だれが、イエスやクリムゾン、クリーム、ジェントル・ジャイアント、ピーター・ガブリエル、CCR、バッハ、キース・ジャレット、etc.なんざ聴きたいと思うか?
少しずつ、間に挿入しているが、そんな今やマイナーの音楽、おっさん・おばさん以外知らないのだ。第一、CCR=クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルって、これ何?という世代ばかりとなったのである。
ああ、時は移ろう。年を食った。
オデュッセウス、とまあ、こういうことなんだろうな?
■フレディ・マーキュリーの墓石、西ロンドンの墓地で発見?
フレディ・マーキュリーが眠る墓石が西ロンドンの墓地で発見されたようだ。
1991年にエイズのため45歳でこの世を去ったフレディの遺体は、当時火葬された後、遺灰の行方が明らかにされておらず長年憶測が飛び交っていたが、今回フレディに捧げられた石碑と見られるものが西ロンドンにあるケンサル・グリーン墓地で見つかったという。
高い台座の上に他の記念石板と共に据えられているという石碑には、アフリカ東部のインド洋に臨む小島であるザンジバル出身のフレディの本名であるファルーク・バルサラと記されている上、石碑に記載されている誕生日と亡くなった日も事実と一致しているようだ。また石碑に刻まれている文字「M」は、フレディの恋人だったメアリー・オースティンの頭文字だと考えられており、石碑には「ファルーク・バルサラを偲んで。1946年9月5日-1991年11月24日」と英語で、さらに続いてフランス語でも「私の全ての愛と共に、いつでもあなたの傍にいます。M」と記されている。
長年、フレディの遺灰の行方は謎に包まれていたが、従来は西ロンドンのケンジントン地区にあるフレディの住んだ1000万ポンド(約14億円)の邸宅「ガーデン・ロッジ」を相続している生前の恋人メアリーが遺灰を保管していると考えられていた。クイーンのファンの1人は今回の発見について英デイリー・ミラー紙に「フレディが1991年にケンサル・グリーン墓地で火葬されたことは、私達ファンはみんな知っていますよ。でも最終的にフレディの遺灰がどこにあるのかは全くのミステリーだったんです」「今回この墓石が発見されたことはとってもエキサイティングですし、世紀の大発見とも言えますよ」と興奮気味に語っている。
1971年にクイーンを結成して以来、本名のファルークではなくフレディの名で知られてきたため、墓地の管理人達はその石碑がフレディに捧げられたものだとは全く気付かなかったようで、いつからケンサル・グリーン墓地に安置されているかも分からないという。
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