3/01/2013

猫の言語と不確定性原理

猫は会話をする。語彙も豊富である。午前5時から、「ミュミュ~ン、ミィヤァ~(ダディー、お腹すいた)」と叫んで私の足の指をベッドの舌から舐め上げ、そして噛むのだ。「ミュミュ~ン、ミィヤァ~」はスリランカのペルシャ黒猫のプリンスの語彙である。では、香港ブリティッシュショートヘア白猫のシドニーはどういうかと言うと「ミャォ~ン、ミャース・ミャース(ダディー、お腹すいた)」と言うのである。その他に、体をさすれ、腹を撫でろ、顎の下をかけ、外に出せ・・・枚挙にいとまがない。
猫の言語と独身女
では、このスリランカと香港の猫同士で共通語はあるか?というとない。声をだすという意味で共通語はない。
ヨメが言って気づいたのだが、「猫は人間には話しかける、会話するけれど、猫同士は話さない、会話しない」のだ。猫同士は、そもそも群れない種族なので、声を出して意思の疎通を図るということはしないのだ。野生の猫は、そもそもそこまでお互い近づかない。雄雌の交尾の際は唸るだけだ。多少、子猫と母猫の間に会話があると思うが、その言語はユニバーサルではないのだ。猫には声を出して何かを伝えるという習慣がない、なかった。
それが、人間のペットになった。そうすると、猫族間のコミュニケーションとは違い、人間に対しては、何らかの意思表示が必要となる。それも、尻尾の上げ下げとか、体なすりつけとか、引っ掻きとか、ボディーランゲージだけでは、どうも人間とは意思疎通が図れないようだ、と猫個体、個体で経験でわかってくる。だから、従来のボディーランゲージだけではなく、人間もお互い何か声を出しているようであるし、それを真似て話しだすのだ。
猫に親から子への伝承があるわけもなし、猫個体それぞれで、適当に単語を創造する。だから、香港のシドニーとスリランカのプリンスが、出身地の違いから言語が違うというわけじゃない。シドニーとプリンス、それぞれの人間相手の語彙が個体で創造されたものだから違うのだ。
むろん、シドニーとプリンスの間では、従来の猫的意思表示、意思疎通方法、つまり、尻尾の上げ下げとか、体なすりつけとか、引っ掻きとか、唸る、これで相手が何を考えているかわかる。人間は鈍感だから、それじゃあわからないだろうと、猫同士では決してやらない、声を出して会話をする、というのも交えなければいけない。
ハイゼンベルクの不確定性原理というのは、よく誤解されるのだが、観察とか観測とかではなく、そもそも測定の話しである。そこを誤解を承知で言えば、まったく人間と接しない猫同士がどう意思の疎通を図っているのか、それは観察によるしかない。ところが人間という外的要因が入ってしまうと、猫は人間という外的要因に対して話しだすのである。これでは、自然な状態で猫同士がどう意思疎通しているのか、わかったものじゃない。
そうなると、イルカの言語とか、これまた、イルカが人間と接していることで、人間同士の会話という意思疎通手段を経験して、イルカは人間に対して言語を創造しているのであって、果たして、イルカ同士でどう意思疎通しているので、言語があるのか、わかったものじゃないのである。
第一、あの広大な七つの海でイルカがユニバーサル言語を形成できるのであろうか?たぶん、お互い訛っているわけだろうし、やはり、ボディーランゲージとか唸り声(イルカの場合はクリック音か・・・)で事足りてしまって、言語と呼ばれるほどの単語があるのかどうか、誰にもわからないのである。

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