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4/01/2013
3/30/2013
ガーネット, 奥華子 (時をかける少女)
変わらないもの, 奧華子 (時をかける少女 )
3/03/2013
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅳ
新生代とか、更新世とか、完新世とか書くと誰も読まなくなるのだよなあ、虚しい・・・(・o・)
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅰ、
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅱ、
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅲの続編
地球を地質年代で見ると、冥王代、始生代、原生代とほとんど生き物などがいない頃から、古生代、中生代、新生代と巡り巡る。
そして、人類の黎明期、それも文明とか有史とかいうと、この最後の新生代の中のさらに第四紀という地質年代のさらにさらに完新世と言われる時代(今から1万年ほど前から始まる)でしかありません。そして、この完新世という地質年代の中ですら、人類が文明とやら歴史とやらを作り始めたのは、完新世中期以降からということ。
完新世の前の更新世は、約258万年前から約1万年前までの間でした。そして、寒かったんだヨォ~。更新世のほぼ全般が氷河期。ほら、あのマンモスなんざが闊歩して、ネアンデルタール人でもクロマニヨン人でもいいが、マンモス狩りをしていた時代です。その期間約257万年というもの、地球は氷河で覆われていて、ユーラシア大陸から日本人の親類が凍りついたベーリング海峡をアメリカ大陸に渡ったのもこの頃なら、大陸から歩いて渡れる日本列島に縄文人の祖先がたどり着いたのもこの頃でした。やれやれ。
安倍さんの「I am back」
安倍さんの「I am back」にアメリカ人が笑った理由
まあ、以下、ご判断はお任せいたしましょう。私としては悪くなかったと思います。(私のスピーチなんざ原稿すらありません....)いきあたりばったりです。下手でもいいのだ、ということ。ただし、少なくとも、私のスピーチの間は誰も寝ない、恐ろしくて眠れないのです。なにせ、突然演壇を降りて、聴衆に話しかけ、質問しだすわけですから。小会議場ならマイクは私には要りません。むしろ、マイクを使うと声がキンキン、ゴワァ~ンとなって、司会者が『マイク要りませんね?』などと言うわけです。ですから、会議場の後ろまで歩いて行って話す。後ろの奴も寝れません。可哀想です....(・o・)
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読売新聞が次のように報じているのだとか。「演説のタイトル『Japan is back(日本は戻ってきた)』に、首相に返り咲いた自らの境遇を重ね合わせたジョーク。会場からは拍手と笑いが一斉に上がった。聴衆の心をつかんだ首相は、約30分間の演説を英語でよどみなくこなし、大胆な金融政策などを柱とする経済政策『アベノミクス』が軌道に乗ったことなどをアピールした」安倍さんが演説を英語でよどみなくこなしたのだ、と。読売さんも、随分よいしょしますね。安倍さんの英語が上手いかどうかは、皆さんの判断にお任せしたいと思います。それにしても、安倍さんの英語のスピーチをお聞きになりましたか?
ところで、メディアが報じるところによれば、安倍さんが I am back といったところで、笑いが起き、大変受けたとされています。日本人の立場からすれば、そうやって聞いている人が反応してくれると、自分の英語が通じていると分かるので、嬉しいというかホットするもので、そうやって笑いが起きたとき、安倍さんはホットしたと思うのです。
でも、少し冷静になってみると、どうも不思議なのです。I am back と言ったことが何故そんなにおかしいのか?或いは、I am back はジョークなのか?それに、安倍さんのスピーチに対し、会場の人々が反応するのは、それ以外では殆どなく、ずっと黙って聞いているだけなのです。
何故、I am backにアメリカ人は反応したのか?
Label :
English contents,
Japanese Contents,
Politics
3/02/2013
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅲ
小乗、大乗、顕教、密教、グチャグチャで虚しい・・・(・o・)
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅰ
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅱ、の続編
そろそろ、ヒンズー教と仏教の話にしないといけません。
まず、ヒンズー教よりも古い仏教から書きましょう。
え?ヒンズー教は仏教よりも古いのではないかって?ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅰ、Ⅱで書いた内容を思い出しててください。
こんなにざっくりとしてはいけないのですが、古い順に、
>原始アーリア人の宗教、原始ドラヴィダ人の宗教
>原始バラモン教(顕教的、小乗的)
>原始仏教(顕教、小乗)
> 原始ヒンズー教(密教的、大乗的)
>インド南部仏教・ラマ教-チベット/ネパール-(密教、大乗)
こうも言えると考えます。そして、何が小乗(的)で何が大乗(的)か、何が顕教(的)で何が密教(的)かとこれまた、怒られるでしょうが、ザックリと言うと、
小乗(的)= 特定の階層(要するに修行する僧侶)のみ得度、救済、解脱可能
大乗(的)= 庶民まで含めて得度、救済、解脱可能で、修行も緩やか、在家出家なんて釈迦が聞いたら卒倒しそうな制度まで包含する
顕教(的)= 人の解脱が主題、死してどうなるか?解脱か輪廻転生か?ということ、生きている間は死んだ後の結果を出す過渡期にしか過ぎない
密教(的)= 生まれてから死ぬまでも主題、空海のように生きていて仏も可!という釈迦が聞いたら卒倒しそうな制度まで包含する、もちろん、生まれてから死ぬまでも主題だから、現世利益追求も可
とこう分けてもいいでしょう。識者が聞くと怒られるだろうが、私の端的理解はこうです。
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅱ
カイバル峠、インド・アーリア民族のパンジャブへの進攻
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅰの続編
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅲに続く
1996年11月、1997年2月、この2回にわたって、私はパキスタンの北西部、アフガニスタン国境から程近い地図にも載っていないチャシュマという村に出張した。
そこはインダス河河岸の村で、そこから流れ出るインダス河の支流に水力発電所を設置するプロジェクトであった。
最初の出張は、シンガポールからバンコック経由でパキスタン中部パンジャブ州のラホールに降り立ち、ラホールから車でチャシュマに旅するものだった。直線距離としてはたいしてない。しかし、尾根越えで道がうねっている場所が多々ある。そして、アウトバーンやハイウェイが走っているわけではなかった。都合10時間かかってしまった。
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅰ
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅱ
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅲに続く
超古代サラスヴァティー文明、デーヴィッド・フローリー著
”The Myth of the Aryan Invasion of India", David Frawley
世界の様々な歴史書を読む、司馬遼太郎まで書いているのだが、古代に栄えた原インド人のドラヴィダ人の文明が、印欧語族であるアーリア人がインダス川流域からインド亜大陸に侵入・侵略して、インドでの支配的な種族となった、とある。
本当かな?と思うものである。
インド・アーリヤ人の場合は、『インドへのアーリア人の侵略』と表記しておいて、ゲルマン民族の場合は『ヨーロッパへのゲルマン民族の大移動』と表記する。
『侵略』と『民族移動』では意味がおおきに違うのだが、それを誰も言わないのだ。
英語では、『インドへのアーリア人の侵略』とはあまり書かない。『インド・アーリア民族移動』 = 『Indo-Aryan migration』です。『ゲルマン民族移動』 = 『Germanic migration』と同じなのだ。
ゲルマン民族移動の場合は、『蛮族』 = 『Barbarian』であって、先進的地域であるローマ・ギリシャのヨーロッパに民族ごと動いたから、 『Germanic Migration』なのである。アーリア人の場合は、鉄器や馬などをもたらしたが、原インド人(ドラヴィダ人)も高度の文明を持っていて、文明の衝突という印象を受けるから、日本語では、『インドへのアーリア人の侵略』などとあえて書くのだろうか?それとも、印欧語族で白色系人種のアーリア人が有色人種のドラヴィダ人文明を犯したからそう書くのだろうか?
しかし、ちょっと変なこともある。
『インドへのアーリア人の侵略』とは紀元前20C~15Cくらいの出来事であり、『ヨーロッパへのゲルマン民族の大移動』は紀元後4C~5Cくらいの出来事である。
そして、ゲルマン民族とは、ヒットラーの言うアーリア人ですね?インド・アーリア人は、イラン・アーリア人と同じく、アーリア人ですね?中央アジアに蟠踞したアーリア人に変わりない。
それが、紀元前20C~15Cは、高度の文明を持ってインドに侵略した、それが、ゲルマン民族は紀元後4C~5Cに蛮族としてヨーロッパに大移動した。
文明的に、ゲルマン民族は退化したアーリア人なのか?
上のマップ、色付けされたカスピ海・アラル海沿岸、アフガニスタン・イラン高原、これがインド・イランアーリア人の故郷、故郷なんだそうです。コーカソイドというわけのわからない人種・地域名称で呼ばれていて、ここいらが彼らの現住地であった。
それが、上のマップのように、北はバルチック海・北東からブリテン島・アイルランド、中欧、南欧、イラン・イラクそして、インド・中央アジアまで移動して、印欧語族の祖先となったという説明なのだ。
高校の頃、世界史でそう習った。(私は理系だが、私の頃は理系でも世界史・日本史は必須だったのだ)じゃあ、この印欧語族の先祖、白人種の先祖、インド・イランアーリア人って何もで、具体的のゴート族とかアングロ族とかサクソン族とか、部族名でもあるのか?まさか、インド・イランアーリア帝国が一体となって、欧州・中東・中央アジア・インドを荒らし回ったわけではあるまい?と思っていた。だが、教師にしろ誰にしろ、筋の通った説明をしてくれた大人はおらなかった。
・・・と、『ヒンズー教と仏教の原風景・現風景』を書こうと思ったのだが、それには、まず、バラモンに関して書かなくてはならず、そうなると、どうしてもここまで遡らないといけなかった。
気が向けば続けます。
The Nanny Diaries, Full Movie
3/01/2013
Shame of This Japanese Caster, Minako Nakano, 中野美奈子
中野美奈子アナの「最悪」アカデミー賞取材米国では「誰だコイツ?」「ぶち壊しだよ!」
Oscars 2013 Red Carpet: Best & Worst Moments
「スティーブン! スティーブン! ジャパニーズ……」、本当に叫んでいるので笑った・・・どうでもいいんだけどね?田舎っぺだなあ・・・(・o・)
日本の総理が何を食してもいいじゃないか?
おかげさまで、昨日2012年度補正予算が参議院を通過いたしました。
しかし、今日は訪米報告等4時間にわたる集中審議、また明日は朝8:30から衆議院、参議院での集中審議、そして衆参本会議での施政方針演説があります。
総理就任以来、最も過酷な日程を迎えます。
そんなスケジュールを控えた、今日の夕食は「タコさんウインナー(おにぎりセット)」。
幼少の頃、私が最も愛したメニューの一つです。
視覚的にも一服の清涼剤になりました。
明日へ向け、改めて気合いが入りました。
明日の施政方針演説、皆様是非ご期待下さい。
総理、政府には機会の均等をはかって頂ければよろしいのであって、自分が貧しい、総理はこんなもの食って!というのは僻み嫉みなのでしょう。
民主主義の要諦は機会の均等にあります。総理がカツカレーを食されても一向に構いませんし、一国の総理が牛丼でもありますまい。共産主義じゃあるまいし(あの壮大な実験は失敗しました)。
カツカレー等々、総理の食単価で判断したり、こんなもの食いやがって!という輩は理解できません。総理がカツカレーを食されようと、大衆とやらにおもねって牛丼食おうと、それで経済が潤うわけもなく。単に安倍家のエンゲル係数が下がるだけの話。
どんどん、食いたいもの、体にいいものを食していただいて、健康を維持して頂き、良い政治、機会均等のある政治をして頂ければよろしい。
それよりも、総理が食事に関してアップすると、途端にみなヒートアップしてコメントする。カツカレー以来、味をしめられましたか?その程度の皮肉、ウィットは楽しい。どんどん、何を食されたかアップして頂きたいものです。
お次は、一部の人間がカリカリしそうな、ふぐ鍋、アンコウ鍋、クエ鍋とか、もっと食単価の高いものをアップ下さい。自国の総理は美食家だ!というのは、対外的にプラスになります。麻生副総理のギャングファッション(Japan’s Finance Minister Rocks Gangster-style)だって、海外に受けているのですから。(むろん、一部の日本国民はカリカリしているでしょうが)
来月、スリランカの大統領が来日しますが、よろしくご対応下さい。
音楽, Music
音楽というものが、昔通りの単純なもので、バッハの『フーガの技法』であったり、キース・ジャレットの『ケルン・コンサート』というように、何もヴィジュアルを必要としないものなら結構であった。私の時代はそのようなものであったのだ。
それが、世は過ぎて、PCでなくともスマホでも映像がDLできるようになって、私のような54才には理解できない世界になったのである。和音とかリズムとか関係無い時代になってしまったんである。音が音として独立できず、ヴィジュアルとやらと融合して、ヴィジュアルとやらなくして音が意味をなさなくなってしまったようである。
ということで、では、バッハばっか?というわけにもいくまい。仕方ないので、訳の分からない音楽だって聴かないといけないわけである。
例えば、http://bit.ly/X40UeH、映像=ヴィジュアルなく、この音楽だけ聴いて、どうなの?どうなのかね?ということである。胸の谷間、これをですな、強調すればいいわけです。理解し難い。パーティー、毎日そうなんですが、私の時代のパーティーってこうじゃなかったと思う。思うが仕方ないであろう?確かに、セクシーであるので、それはそれで結構何である。
Alizeeというフランス人、コルシカ出身の可愛い子ちゃん歌手を年代的に取り上げた。最初は、ミニスカ、ホットパンツ、パンティー見せである。売れ方がそうなんでしょう。http://bit.ly/XPjXI2、10年の月日が経ち、潰れなかった。
http://bit.ly/1366kJM、http://bit.ly/1366mBh、http://bit.ly/1366CAo、私は、Bruce Springsteenって、国際的な北島三郎ではないか?と思うが、まあ、音だけでもヴィジュアル込みでも楽しめるのである。
Katy Perry - Firework、これはヴィジュアル付きの方がいいであろうな?物語性のある音楽はヴィジュアル付きの方がよろしいのだ。(ドラゴンボールみたいになっているのは仕方ないな・・・(・o・))ヴィジュアルがないと感動が薄れる。デブちんの女の子が勇を越して水着になってプールに飛び込むなんざいいであろう?Chantal Kreviazukの一連の音楽も似た系列である。
『あの微笑みを忘れないで』の2バージョン、生きている坂井泉水(http://bit.ly/1368pp9)と死んじまった坂井泉水(http://bit.ly/1368Ake)は、音が同じだから、ヴィジュアル抜きにとはいくまいなあ。しかし、前者があって、後者を聴くと、この歌手の死というのが実感できて、なんつうことだ?!と思うのである。
藤圭子の娘の宇多田ヒカル、カノジョのヒット曲は知らず、聴いたことも聴きたくもないが、Goodbye Happinessはヴィジュアルが好きである。このひどいジーパン、止めて欲しいとは思うがね・・・I love you、こちらは映像がなくても聞けますな。
クラシックで言うと、フランスのコメディー映画、『Le concert』、これ好きです。実に好き。亡命して、楽器を数年いじっていない楽団員が、演奏中に即まともになる、という荒唐無稽な筋書きだって愛せるではないかね?
似たような流れで、『The Nodame Cantabile』(http://bit.ly/VUtznJ、http://bit.ly/YhV0nI、http://bit.ly/136aPE1、http://bit.ly/136aVvz、http://bit.ly/136aXU3)好きですよ。
Music, My Favouritesは、一応、考えて選曲してあるのだが、どうなんだろうかね?
音楽2
■フレディ・マーキュリーの墓石、西ロンドンの墓地で発見?
音楽の続き
WHEN HARRY MET SALLY、この映画の挿入歌の話をそのうち書いてみたいと思っている。例えば、サッチモの歌なんてのもね。
You like potato and I like potahto,
You like tomato and I like tomahto,
Potato, potahto, tomato, tomahto!
Let's call the whole thing off!
But oh! If we call the whole thing off,
Then we must part.
And oh! If we ever part,
Then that might break my heart!
So, if you like pajamas and I like pajahmas,
I'll wear pajamas and give up pajahmas.
For we know we need each other,
So we better call the calling off off.
Let's call the whole thing off!
“ポテト”が好きって君は言うけど、それって“ポタートゥ”のこと?
“トメィト”が好きって君は言うけど、僕が好きなのは“トマァトゥ”。
“ポテトよ!”“いーや、ポタートゥ!”“トメィトでしょ!”
“違う、トマァトゥ!”
あー、もうぜんぶやめにしよう!
あぁ、だけど、僕たちが「ぜんぶやめにしよう」ってわめいちゃったら
僕たちはお別れするのかな?
ずっと離れ離れ?
それは耐え切れないかも
君は“パジャマ”、僕は“パジャーマ”
だけど、もし君が“パジャマ”と言うなら、
僕は“パジャーマ”はあきらめて“パジャマ”にするよ
だって君も僕も、お互いが必要って思ってるから
だから、“あーもうぜんぶやめにしよう!”をやめにしよう(笑)
ああ、この頃のメグ・ライアンはキュートであった。我が敬愛するデニス・クエイドと離婚するまで、私はカノジョを愛した。そして、我が辟易するラッセル・クロウと不倫し、デニス・クエイドと離婚するまでその愛は続いた。
ビリー・クリスタル。彼の司会するアカデミー賞は秀逸であった。その会話の即妙性、ウィット。
ボブ・ディランのハリケーン、私がこのアルバムを買った時節、私の妹はカルメンマキなんざ聴いておった。『私は風』・・・おっと、中森明菜版であった。しかし、カルメンマキのカバーをできる歌手なんざ中森明菜くらいであろうな?松田聖子じゃ無理だ。こんなカリカリ激ヤセの体でよく声がでるものだ。もう、今は無理なんだろうか?
Brand New Me, Alicia Keys、バラード、モノローグだ。ピアノ、聴いてほしい。ゴスペル、絶叫調だけじゃない、しっとり聴かせる。ホイットニーから始まる系譜、歌唱力だけをひけらかし、歌詞の内容もない曲じゃないように思うがいかがか?音楽には物語性が必要だと思うんだが?それはメロディアスじゃないとイカンのであって、歴史性を見いだせず日本の私小説みたいな世界観の流行りのアフリカ系米国人の音楽ではイカンのだと思う。むろん、私の好み・趣味の話である。
Skyscraper, Demi Lovato、学園モノ映画の可愛い子ちゃん歌手がこういう歌を歌う、歌えるというのは、想像外であった。
私が紹介する曲、これは女性シンガーが主である。だれが、イエスやクリムゾン、クリーム、ジェントル・ジャイアント、ピーター・ガブリエル、CCR、バッハ、キース・ジャレット、etc.なんざ聴きたいと思うか?
少しずつ、間に挿入しているが、そんな今やマイナーの音楽、おっさん・おばさん以外知らないのだ。第一、CCR=クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルって、これ何?という世代ばかりとなったのである。
ああ、時は移ろう。年を食った。
オデュッセウス、とまあ、こういうことなんだろうな?
■フレディ・マーキュリーの墓石、西ロンドンの墓地で発見?
フレディ・マーキュリーが眠る墓石が西ロンドンの墓地で発見されたようだ。1991年にエイズのため45歳でこの世を去ったフレディの遺体は、当時火葬された後、遺灰の行方が明らかにされておらず長年憶測が飛び交っていたが、今回フレディに捧げられた石碑と見られるものが西ロンドンにあるケンサル・グリーン墓地で見つかったという。高い台座の上に他の記念石板と共に据えられているという石碑には、アフリカ東部のインド洋に臨む小島であるザンジバル出身のフレディの本名であるファルーク・バルサラと記されている上、石碑に記載されている誕生日と亡くなった日も事実と一致しているようだ。また石碑に刻まれている文字「M」は、フレディの恋人だったメアリー・オースティンの頭文字だと考えられており、石碑には「ファルーク・バルサラを偲んで。1946年9月5日-1991年11月24日」と英語で、さらに続いてフランス語でも「私の全ての愛と共に、いつでもあなたの傍にいます。M」と記されている。長年、フレディの遺灰の行方は謎に包まれていたが、従来は西ロンドンのケンジントン地区にあるフレディの住んだ1000万ポンド(約14億円)の邸宅「ガーデン・ロッジ」を相続している生前の恋人メアリーが遺灰を保管していると考えられていた。クイーンのファンの1人は今回の発見について英デイリー・ミラー紙に「フレディが1991年にケンサル・グリーン墓地で火葬されたことは、私達ファンはみんな知っていますよ。でも最終的にフレディの遺灰がどこにあるのかは全くのミステリーだったんです」「今回この墓石が発見されたことはとってもエキサイティングですし、世紀の大発見とも言えますよ」と興奮気味に語っている。1971年にクイーンを結成して以来、本名のファルークではなくフレディの名で知られてきたため、墓地の管理人達はその石碑がフレディに捧げられたものだとは全く気付かなかったようで、いつからケンサル・グリーン墓地に安置されているかも分からないという。
猫の言語と不確定性原理
猫は会話をする。語彙も豊富である。午前5時から、「ミュミュ~ン、ミィヤァ~(ダディー、お腹すいた)」と叫んで私の足の指をベッドの舌から舐め上げ、そして噛むのだ。「ミュミュ~ン、ミィヤァ~」はスリランカのペルシャ黒猫のプリンスの語彙である。では、香港ブリティッシュショートヘア白猫のシドニーはどういうかと言うと「ミャォ~ン、ミャース・ミャース(ダディー、お腹すいた)」と言うのである。その他に、体をさすれ、腹を撫でろ、顎の下をかけ、外に出せ・・・枚挙にいとまがない。
次回 猫の言語と独身女
では、このスリランカと香港の猫同士で共通語はあるか?というとない。声をだすという意味で共通語はない。
猫の言語と独身女
前回、「猫の言語と不確定性原理」というのを書きました。猫は、飼い主の様を見て、本来自分にはなかった声を出して相手に伝える会話能力を持つ、という話でした。猫の言語は、飼い主、人類がいてこそであって、極めて人為的なものである、という話です。
話は飛躍して、日本人の独身女性のお話。そういう女性がいます。一人暮らしです。一応、結婚したいと思っています。それで、その女性が犬猫などのペットを飼っているか、どうか、これが結婚への大きな岐路となる可能性があるという話をしましょう。
物理的に、一人暮らしの女性で、ペットが居ると居ないでは男性として大きな制約が生じます。
前回 猫の言語と不確定性原理
マインドセットⅠ
「マインドセット」について考えていきたいと思います。
「マインドセット」などと言うと、何だぁ?と思われるかもしれません。私流に意訳して、「意識固定」、「認識固定」、「言霊自動反応」などという意味でお考え頂ければいいと思います。或いは、「思考の型、考え方の枠にはまった知能」とでもいいましょうか。
「マインドセット」は誰でも持っているものです。日本人として意識が固定されている、アメリカ人として意識が固定されている、国籍・文化・成長した土地・両親・友人、あらゆる要因のマインドセットが考えられます。
さて、
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