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3/02/2013

ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅲ

小乗、大乗、顕教、密教、グチャグチャで虚しい・・・(・o・)
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅰ
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅱ、の続編
そろそろ、ヒンズー教と仏教の話にしないといけません。
まず、ヒンズー教よりも古い仏教から書きましょう。
え?ヒンズー教は仏教よりも古いのではないかって?ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅰ、Ⅱで書いた内容を思い出しててください。
こんなにざっくりとしてはいけないのですが、古い順に、
>原始アーリア人の宗教、原始ドラヴィダ人の宗教
>原始バラモン教(顕教的、小乗的)
>原始仏教(顕教、小乗)
> 原始ヒンズー教(密教的、大乗的)
>インド南部仏教・ラマ教-チベット/ネパール-(密教、大乗)
こうも言えると考えます。そして、何が小乗(的)で何が大乗(的)か、何が顕教(的)で何が密教(的)かとこれまた、怒られるでしょうが、ザックリと言うと、
小乗(的)= 特定の階層(要するに修行する僧侶)のみ得度、救済、解脱可能
大乗(的)= 庶民まで含めて得度、救済、解脱可能で、修行も緩やか、在家出家なんて釈迦が聞いたら卒倒しそうな制度まで包含する
顕教(的)= 人の解脱が主題、死してどうなるか?解脱か輪廻転生か?ということ、生きている間は死んだ後の結果を出す過渡期にしか過ぎない
密教(的)= 生まれてから死ぬまでも主題、空海のように生きていて仏も可!という釈迦が聞いたら卒倒しそうな制度まで包含する、もちろん、生まれてから死ぬまでも主題だから、現世利益追求も
可
とこう分けてもいいでしょう。識者が聞くと怒られるだろうが、私の端的理解はこうです。

ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅱ

カイバル峠、インド・アーリア民族のパンジャブへの進攻
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅰの続編
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅲに続く
1996年11月、1997年2月、この2回にわたって、私はパキスタンの北西部、アフガニスタン国境から程近い地図にも載っていないチャシュマという村に出張した。
そこはインダス河河岸の村で、そこから流れ出るインダス河の支流に水力発電所を設置するプロジェクトであった。
最初の出張は、シンガポールからバンコック経由でパキスタン中部パンジャブ州のラホールに降り立ち、ラホールから車でチャシュマに旅するものだった。直線距離としてはたいしてない。しかし、尾根越えで道がうねっている場所が多々ある。そして、アウトバーンやハイウェイが走っているわけではなかった。都合10時間かかってしまった。

ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅰ

 ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅱ
ヒンズー教と仏教の原風景・現風景Ⅲに続く
超古代サラスヴァティー文明、デーヴィッド・フローリー著
”The Myth of the Aryan Invasion of India", David Frawley
世界の様々な歴史書を読む、司馬遼太郎まで書いているのだが、古代に栄えた原インド人のドラヴィダ人の文明が、印欧語族であるアーリア人がインダス川流域からインド亜大陸に侵入・侵略して、インドでの支配的な種族となった、とある。
本当かな?と思うものである。
インド・アーリヤ人の場合は、『インドへのアーリア人の侵略』と表記しておいて、ゲルマン民族の場合は『ヨーロッパへのゲルマン民族の大移動』と表記する。
『侵略』と『民族移動』では意味がおおきに違うのだが、それを誰も言わないのだ。
英語では、『インドへのアーリア人の侵略』とはあまり書かない。『インド・アーリア民族移動』 = 『Indo-Aryan migration』です。『ゲルマン民族移動』 = 『Germanic migration』と同じなのだ。
ゲルマン民族移動の場合は、『蛮族』 = 『Barbarian』であって、先進的地域であるローマ・ギリシャのヨーロッパに民族ごと動いたから、 『Germanic Migration』なのである。アーリア人の場合は、鉄器や馬などをもたらしたが、原インド人(ドラヴィダ人)も高度の文明を持っていて、文明の衝突という印象を受けるから、日本語では、『インドへのアーリア人の侵略』などとあえて書くのだろうか?それとも、印欧語族で白色系人種のアーリア人が有色人種のドラヴィダ人文明を犯したからそう書くのだろうか?
しかし、ちょっと変なこともある。
『インドへのアーリア人の侵略』とは紀元前20C~15Cくらいの出来事であり、『ヨーロッパへのゲルマン民族の大移動』は紀元後4C~5Cくらいの出来事である。
そして、ゲルマン民族とは、ヒットラーの言うアーリア人ですね?インド・アーリア人は、イラン・アーリア人と同じく、アーリア人ですね?中央アジアに蟠踞したアーリア人に変わりない。
それが、紀元前20C~15Cは、高度の文明を持ってインドに侵略した、それが、ゲルマン民族は紀元後4C~5Cに蛮族としてヨーロッパに大移動した。
文明的に、ゲルマン民族は退化したアーリア人なのか?
上のマップ、色付けされたカスピ海・アラル海沿岸、アフガニスタン・イラン高原、これがインド・イランアーリア人の故郷、故郷なんだそうです。コーカソイドというわけのわからない人種・地域名称で呼ばれていて、ここいらが彼らの現住地であった。
それが、上のマップのように、北はバルチック海・北東からブリテン島・アイルランド、中欧、南欧、イラン・イラクそして、インド・中央アジアまで移動して、印欧語族の祖先となったという説明なのだ。
高校の頃、世界史でそう習った。(私は理系だが、私の頃は理系でも世界史・日本史は必須だったのだ)じゃあ、この印欧語族の先祖、白人種の先祖、インド・イランアーリア人って何もで、具体的のゴート族とかアングロ族とかサクソン族とか、部族名でもあるのか?まさか、インド・イランアーリア帝国が一体となって、欧州・中東・中央アジア・インドを荒らし回ったわけではあるまい?と思っていた。だが、教師にしろ誰にしろ、筋の通った説明をしてくれた大人はおらなかった。
・・・と、『ヒンズー教と仏教の原風景・現風景』を書こうと思ったのだが、それには、まず、バラモンに関して書かなくてはならず、そうなると、どうしてもここまで遡らないといけなかった。
気が向けば続けます。

1/21/2013

Progressive Buddhism: Crying at a Buddhist Funeral, by Adam Goldberg

Crying at a Buddhist Funeral
The room is a blurry haze; the bright orange of monastic robes saturate her vision and her feet seem to hover as she moves to an open chair. Her mind is distant and she can’t feel a thing but for a sensation of cold emptiness that presses against her chest, growing and growing, threatening to freeze her. She raises her eyes – they are heavy and wet with tears – but the faces of those around her are tranquil; at ease, as if someone has not just died....
....

Echo of the Dharma - A Bilingual Blog on Shin Buddhism 日英両語による浄土真宗ブログ

On this blog, I would like to discuss different issues of the world in the light of the teaching of Pure Land master Shinran (1173-1263). このブログでは、世間折々の問題を浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の教えに基づいて考えてみたいと思います。 (a stone image of a small boy and a girl on the street in Arashiyama, Kyoto)
The Year’s First Visit to Shinto Shrines
In Japan, many people visit Shinto Shrines during the first three days of the New Year's holiday in order to pray for a good and happy life throughout the year - for happiness and lack of misfortune in the household, traffic safety, success in business, success in learning, good health, good fortune, longevity, encounter with an ideal husband or wife, safe and easy delivery of a baby, and so on. Those wishes represent our selfish desires, and if gods were to listen to the millions of wishes thrown at them and fulfill them, they would go totally crazy.