3/01/2013

マインドセットⅠ

「マインドセット」について考えていきたいと思います。
「マインドセット」などと言うと、何だぁ?と思われるかもしれません。私流に意訳して、「意識固定」、「認識固定」、「言霊自動反応」などという意味でお考え頂ければいいと思います。或いは、「思考の型、考え方の枠にはまった知能」とでもいいましょうか。
「マインドセット」は誰でも持っているものです。日本人として意識が固定されている、アメリカ人として意識が固定されている、国籍・文化・成長した土地・両親・友人、あらゆる要因のマインドセットが考えられます。
さて、

いつか、どの新聞か忘れましたが、昔、ある新聞の1面に、ある大学の数学の入試問題が紹介されていました。たった1問。円周率が"3.00"以上である事を証明せよ、という問題です。
おお、良い問題だな、と思いました。丸暗記した、定式化した問題ではなく、規定内の時間で、さまざまなアプローチで答えを出せる問題です。最近の日本の学校は、円周率を3.14ではなく、3で近似して教えるのだそうです。これは私の娘の通っているインターナショナルスクールでも同様です。これに関して、「ちゃんと(?)」3.14で教えないといけない、という意見も多いですが、私はそうは思いません。考え方の道筋さえ正しければ、3であろうと、3.1であろうと、3.14であろうと、小数点以下60桁まで教えようと、どうでも良い事です。
ただし、その考え方の道筋に行き着くためには、無限分割の話とか、円に内接する多角形、三角形の各辺の長さの導き方とか、定理、公理を理解して無くてはいけない。そして、定理・公理まで、自分で考えて発見せよ、というのは、学生個々がニュートンやアインシュタインではないので、まず不可能です。これは、丸暗記でいい。公理・定理がどう証明されたか、丸暗記してしまえ、できれば理解して、ということです。
これら、無限分割の話とか、円に内接する正多角形、正多角形を構成する三角形の各辺の長さの導き方などの定理・公理がわかれば、この問題を解く事は応用問題ですね。ようするに、円に内接する多角形の外側の辺の長さの合計が、正多角形が内接している円の直径の3倍より多ければいいのですから、手っ取り早いのは円に内接する正八角形で証明すればいいでしょうか?他にもいろいろな答えがあります。私もいくつか考えようと思ってます。
マインドセットされていると、こういった問題を解く事は難しい。意識、認識が固定されていますから、3.14でいいじゃないか?なぜ、3以上なんて問われなければいけないのか?と、3・14で習った世代は考えるかもしれない。「円周率が3」と習った世代だと、これが丸暗記ではなく、考え方の筋道で習っているはずですので、日本の子供は知りませんが、私の娘は解けてしまう。こういった具合で、丸暗記には丸暗記の効用があり、考えさせる学習には考えさせる学習の効用があるのですが、いずれかにセットされると、丸暗記派か、或いは考える学習派か、とどちらかに偏ってしまいます。
話は生物学に飛びまして、進化と進歩の話。
中学校や高等学校で習う生物学で、必ず出てくるのが生命の樹のような系統樹とかピラミッド構造で頂点が人類になっている図です。例えば、この「系統樹」は、何を意味するのか?間違った印象を与えます。
ダーウィンは、彼の進化論と進歩、進歩史観を関連付けられるのを嫌ったそうです。ダーウィンは、適者生存とか適応放散・適応集中の話をしましたが、生命の系統樹を『種の起源』に図示したわけでもありません。滅びた種が優秀でないとは一言も述べていませんし、人類が適者生存の頂点に立っているとも述べていません。言っているのは逆の事で、人類とは神の似姿でも何でもなく、無尾猿類や有尾猿類、原猿などと共通の先祖を持つ(猿が人間の先祖、と認識されているとしたら間違いです)と、人類を神の高みから引きずり下ろしたのです。ましてや、生命のピラミッド構造などを考えたわけではありません。人類は生命界の頂点ではありません。
この生命の系統樹とか生命のピラミッド構造を中学・高校で刷り込まれるので、生命の進化に関して間違った認識を持ってしまいます。これはマインドセットの一種ですね。
正しい(と思われる)生命の世界のイメージとしては、ある価値の方向性を持った図ではありません。生命の進化図としてはタマネギ構造が最適でしょう。少なくとも時間という方向性と、種の多様化という方向性はありましたし、これからもあるでしょうから。
タマネギの中心で原初の単細胞生物から始まって、次の皮では単細胞生物の皮の上にポツポツ多細胞生物が出て、さらに単細胞・多細胞生物のベースにポツポツ無脊椎動物が出て・・・というように、ベースである単細胞生物がいなくなることなく、皮がどんどん厚くなってくる、そして、今は、単細胞生物、多細胞生物、無脊椎が昔と変わらずそのままいて、脊椎動物の中にポツポツ人類もいる、とこういうのが実際の生命進化の姿でしょうね。
つまり、バクテリアやウィルスってのがいつもベースになっているという事で、人間なんてたいした物でもなく、タマネギの一番外側の皮の表面に部分的に点在しているにすぎません。
ダーウィンの進化論は、ダーウィン自身が嫌っていたように進化=進歩ではありませんでした。それから、進化論=唯物論ですが、それを進化論=唯物論=唯物史観にこじつけようとしたマルクス・エンゲルスも大嫌いでしたね。
進歩というのは、
【進歩】よい(望ましい)方に次第に進んで行くこと。
なんて意味ですが、これは自然科学では何だぁ?の理論になります。誰が、何が望ましい方向に進める意志(意識)を持っているのだぁ?という事。自然科学は唯物観(唯物史観ではない!)ですので、そのような存在しない意志とか意識は認めませんね。物事は進みます。しかし、どこに進むのか、どのように進むのかなどは、偶発的要因に依ります。ましてや、それが、「良い」とか、「望ましい」などという曖昧な意味での価値基準で判定される方向に常に進むという理論を自然科学は絶対に受け入れません。社会科学なら別でしょうが。
日本では、「進歩」と「進化」で字が二字の言葉で、最初の漢字が同じというように似ていますから、ますます混同の度合いが高まります。英語では全然違いますね。
【進化】evolution
生物が何世代もかけて形態や機能の分化・変異の過程を積み重ねながら、より環境に適した状態になること。
【進歩】progress; (an) advance; (an) improvement
よい(望ましい)方に次第に進んで行くこと。
【evolution】展開, 発展, 進展
という意味もあります。元々はラテン語の「(巻物などを)開くこと」の意味からの言葉。これまた、
【revolution】 (政治上の)革命、〔思想・行動・方法などにおける〕大変革、激変、革命
とスペリングが似ていますので、混同の度合いが高まりますが、【evolution】と【revolution】は語源も成り立ちも違う言葉ですから誤解のないように。
マルクスもエンゲルスもレーニンも、「唯物史観」という割には、人民なる階層をでっち上げて、それに人民の「意志」なる物を付随させて、全然唯「物」じゃなくて、唯物+人間の心の観念、なんじゃないの?と思ってしまいます。まあ、社会科学ですので、証明できませんし、言い出すのは自由ですね。
彼らは、本気で、共産主義、なるものを信じていて、資本主義とか社会主義とか、社会制度を進歩の階梯で一途づけて、共産主義が望むべき社会制度であるなどという理論にしましたが、やれやれ、なぜ、それが万民が望むべき社会制度なのか、彼らの著書ではあやふやですな。
みんな結果が平等というのは、望むべき社会体制なの?それって、貧者の論理、敗者の論理で、働かざる者も食わす論理ですねえ。それでは、その社会が死に絶えるかもしれない。そうなったら元も子もなくなりますが、その話には触れようとしないのが常ですね。
組合運動と同じです。組合運動にかまけて、ぶんどり合戦を演じたあげく、本業がおろそかになって、その会社が左前になるなんて、カルロス・ゴーンさんが来る前の日産と同じですね。結局フランスに身売りしちまいましたし。
【共産主義】
その社会の人たちが生産手段やそれと関連する社会的財産を共同で持つこと。基本的生産手段や財産の私有・世襲を否認し、階級や搾取の無い社会の実現のためにプロレタリア階級を解放しようとする主義。マルクス レーニン主義はその一つ。コミュニズム。
「階級や搾取の無い社会」を成立させるためには、階級をなくさなければいけませんが、それは個々人の違いをなくせ、と同じ事。不可能ですね。搾取は、階級差の低い階層から高い階層が利益を吸い上げる事ですが、階級差が固定されていた時代のマルクスやレーニンなら主張する必要もあったかもしれませんが、階級差の流動が可能な現代にマルクス・レーニンが生きていたらなんと言った事か。
「階級や搾取を気にしない社会」はできそうですね。「階級や搾取の無い社会」は不可能でしょうな。
[Japanese contents, Blog]
[English Contents, American, politics, government]

No comments:

Post a Comment